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俳句の里松山

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伊豫の隅々インデックス

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●俳句の里松山:城下コース
1 「さくら活けた 花屑の中から 一枝拾ふ」 河東碧梧桐 二番町4丁目 松山市役所前
・昭和6年松山刑務所(今の県病院)に建立。 
・昭和28年8月、碧梧桐の17回忌記念に現在の地に移す。
2 「わかるるや 一鳥啼て 雲に入る」 夏目漱石 一番町4丁目 NTT四国総支社前
・「夏目漱石は、明治二十八年、ここで英語を教えました。名作「坊っちゃん」は、松山中学校を舞台にして書かれました。 四国電電ビル新築にあたり、往時校庭にそびえていたユーカリの一樹をそえて記念碑を建立します。 
 松山を去るに際し わかるるや 一鳥啼て雲に入る 
    昭和三十七年十月二十三日 日本電信電話公社 四国電気通信局」と記してある。 
・この句は、明治29年4月熊本五高転任時、近藤我観(こんどうがかん)に送った句。
3 松風会ゆかりの松山市立高等小学校跡 
(松山高等小学校)
二番町4丁目 番町小学校
4 夏目漱石ゆかりの旅館『きどや』 二番町4丁目
5 河東碧梧桐誕生地(静渓邸の跡) 三番町4丁目
6 大原観山邸跡 三番町3丁目
7 夏目漱石寓居・愚陀仏庵の跡 二番町3丁目
8 「城山や 筍のびし 垣の上」 柳原極堂 一番町3丁目 萬翠荘への途中
・極堂は子規の新俳句普及のため、俳誌「ほととぎす」を発刊、松山俳壇界の興隆につとめ、晩年は子規顕彰に尽くした。この句は「ほととぎす」第10号(明治30年7月)所載の句で、それには「筍」が「竹の子」となっている。 
・極堂翁31歳の時の句である。句集「草雲雀」著書「友人子規」等。 
・この碑は昭和33年10月、柳原極堂先生句碑建設會が建立した。
9 「なつかしき 父の故郷 月もよし」 高浜年尾 一番町3丁目 萬翠荘への途中
・昭和47年11月、愛媛ホトトギス会が「ホトトギス」900号を記念してこの碑を建立した。 
・年尾は高浜虚子の長男。名付親は正岡子規。俳句は中学時代に虚子から手ほどきを受け、昭和9年35歳のころから本格的に句作に精通した。虚子最晩年より俳誌「ホトトギス」を継承主宰した。
10 夏目漱石の書簡碑 一番町3丁目 萬翠荘入口
11 夏目漱石ゆかりの愛松亭跡 一番町3丁目 萬翠荘入口
12 「秋晴の 城山を見て まづ嬉し」 今井つる女 一番町3丁目 萬翠荘
・この句碑のある所は彼女が五歳から六年間の少女時代を過ごした思い出の地。 
・つる女の米寿を祝い、愛媛ホトトギス会同人・愛媛新聞社が昭和59年10月28日に建立。当日つる女はこの句碑を「私の分身です」といって声をつまらせた
13 「風ひそひそ 柿の葉落とし ゆく月夜」 野村朱燐洞 喜与町2丁目 三宝寺
・自由律俳人、野村朱鱗堂の句碑。かつての門人高木和蕾(わらい)等の手によって昭和52年、三宝寺境内に建立された。
14 「牛行くや 毘沙門阪の 秋の暮」 正岡子規 大街道3丁目 東雲神社参道下の三叉路
・明治28年9月21日の作。
15 「遠山に 日の当たりたる 枯野哉」 高浜虚子 丸之内 東雲神社
 
16 「東雲の ほがらほがらと 初桜」 内藤鳴雪 丸之内 東雲神社
・俳句の里城下コース 6-1番→16番 
・大正14年、東雲神社での諷詠を句碑にしたもの。 
・鳴雪は江戸松山藩邸で生まれ、愛媛県学務課長・文部省参事官を歴任後、常盤舎寄宿舎監督となった。その時に正岡子規等に漢詩を指導したが、のち子規からは俳句を学び子規派の長老として尊敬され雑誌、新聞の俳句欄の選者として活躍した。
17 「夕桜 城の石崖 裾濃なる」 中村草田男    
説明文
18 高浜虚子住居跡 一番町1丁目6-1
19 「正風の 三尊みたり 梅の宿」 小林一茶 勝山町1丁目 緑地帯
 
20 「新立や 橋の下より 今日の月」 正岡子規 新立町 金刀比羅神社
 
21 「馬をさへ なかむるゆきの あしたかな」 松尾芭蕉 新立町 多賀神社
 
22 「囀や 天地金泥に 塗りつぶし」 野村喜舟 北立花町 石手川公園
・「小鳥の囀りのなんと明るく賑やかなことか...。まるで金粉を溶かし込んだ金泥を辺り一面はおろか、天にも地にもいっぱいに塗りつぶしたようだ」という意味の句。 
・立花橋と永木橋の間ぐらいのところに碑がある。
・野村喜舟は松根東洋城に俳句の指導を受け、大正4年2月、東洋城主宰「渋柿」創刊と共に同人となり、後に主宰した。
23 「薫風や 大文字を吹く 神の杜」 正岡子規 北立花町 井手神社
 
24 「涼しさや 西へと誘う 水の音」 内海淡節 柳井町1丁目 石手川堤
・墓碑句。 
・淡節は内海愛之丞、松山藩士。 
・俳諧は京都に上って桜井梅室に学び、その養子になって花の本脇宗匠となった。 
・晩年松山に帰り、明治初期地方俳壇の長老として仰がれた。 
・大原基戎とは同門であった。
25 浦屋雲林邸跡 柳井町2丁目
 
26 「我ひとり のこして行きぬ 秋の風」 叟柳 湊町3丁目 中の川筋緑地帯
 
27-1 正岡子規生い立ちの家跡 湊町3丁目 中の川筋緑地帯
 
27-2 「くれなゐの 梅散るなへに 故郷に 
つくしつみにし 春し思ほゆ」
正岡子規 湊町3丁目 中の川筋緑地帯
・紅梅の下に土筆などを植えた盆栽を、伊藤左千夫が病気見舞に贈ってきた。これを朝夕眺めていると、幼い頃に土筆を摘み遊んだことを思い出す。再び踏むことができぬかもしれない故郷松山を思い出す。
28 正岡子規母堂令妹邸跡 湊町4丁目 中の川筋緑地帯
 
29 「寺清水 西瓜も見えす 秋老いぬ」 
「我見しより 久しきひょんの 茂哉」
正岡子規 泉町 薬師寺
 
30 「こころざし 富貴にあらず 老の春」 柳原極堂 末広町 興聖寺
 
31 「梅てのむ 茶屋も有へし 死出の山」 子葉 末広町 興聖寺
 
32 正岡家累代墓 末広町 正宗寺
・父:尚直(隼太)1872(明治5年3月7日)没:享年40歳 
・母:1859年(安政6年)5月14日没:享年20歳 
・もとは法龍寺に在ったという。
33-1 子規居士髪塔 末広町 正宗寺
 
33-2 鳴雪先生髯塔 末広町 正宗寺
 
34 「笹啼(ささなき)が 初音になりし 頃のこと」 高浜虚子 末広町 正宗寺
・昭和24年10月24日建立。 
・ホトトギス600号記念。 
・昭和21年11月、正宗寺で行われたホトトギス600号記念会の席上で、高浜虚子の句碑建立が決まり、後日送られてきたのがこの句である。その時、「極堂のもたのむぞな」と虚子が言って、参会者を感激させたという。 
・「ホトトギス」は、柳原極堂が明治30年1月15日、子規とともに松山で創刊した。20号までを松山で発行し、その後を虚子が継承して「ホトトギス」とし、発行所を東京に移したという。600号に達したのは、昭和21年の12月号のことであった。 
・「笹啼」は冬に鴬がまだ春のようには上手く鳴けず「チチ、チチ」と鳴く頃を、鴬の「笹啼」に例えて詠んだのであろう。
35 「打はづす球キャッチャーの手に在りてベースを人の行きがてにする」 
「今やかの三つのベースに....」
正岡子規 末広町 正宗寺
 
36 「朝寒や たのもとひびく 内玄関」 正岡子規 末広町 正宗寺
・子規の村上霽月邸を訪ねての松山西部散策の起点はここであった。 
・正宗寺の住職、釈仏海一宿を訪ね、「一緒に行かないか」と誘いに朝早く寄ってみたが、生憎用があるとのことで、同伴しなかった。 
・旧:俳句の里散策コース1番
37-1 正岡家墓地跡 柳井町3丁目 法龍寺
 
37-2 「栗の穂の ここを叩くな この墓を」 正岡子規 柳井町3丁目 法龍寺
 
38-1 「風呂吹を 喰ひに浮世へ 百年目」 正岡子規 湊町4丁目 円光寺
 
38-2 「冬さひぬ 蔵沢の竹 明月の書」 正岡子規 湊町4丁目 円光寺
 
39 「城山の 浮み上がるや 青嵐」 正岡子規 湊町5丁目 松山市駅前
 
40 正岡子規誕生地 花園町 電車通西側
 
41 「石鎚も 南瓜の花も 大いなり」 風生 大手町2丁目 JR松山駅前
 
42 「春や昔 十五万石の 城下哉」 正岡子規 大手町2丁目 JR松山駅前
 
43 庚申庵 味酒町2丁目
 
44 「さまざまの 事おもひ出す 桜かな」 松尾芭蕉 味酒町3丁目 阿沼美神社
・俳句の里 城下コース 31-1→城下コース 44番
45 「浮雲や また降雪の 少し都々」 栗田樗堂 味酒町3丁目 阿沼美神社
(うきぐもや またこうせつの すこしづつ)
・俳句の里 城下コース 31-2→→城下コース 45番
・昭和47年1月21日除幕式が行われた。
・樗堂は作り酒屋に生まれたが、同業の栗田気に入婿、7代目戸主となり家業に励んだ。その傍ら、松山藩の町方大年寄として町政に尽力した。
・俳句は加藤暁台門で井上士朗と双璧。近世伊予第一の俳人と称せられ、竹阿や一茶は彼を訪ねて来松し句稿を残している。
・句集に「萍窓集(ひょうそうしゅう)」などがある。
46 「萱町や 裏へまはれば 青簾」 正岡子規 萱町4丁目 大三島神社
・昭和51年、味酒地区の有志の手により建立された。
47 「三津口を 又一人行く 袷哉(あわせかな)」 正岡子規 萱町6丁目 松山市保健センター
・昭和52年11月18日に、地元の有志により建立された。 
・句碑建立当時は、市農協経済センターと呼ばれていた。 
・萱町6丁目辺りは、古くは「三津口」と呼ばれていた。
●俳句の里松山:城南コース
1-1 「新場処や 紙つきやめば なく水鶏(くいな)」 正岡子規 日之出町 石手川公園
・昭和57年11月28日建立。 
・明治25年夏、石手川散策時の句。
1-2 「そぞろ来て 橋あちこちに 夏の月」 五百木飄亭 日之出町 石手川公園
・昭和57年11月28日建立。 
・五百木瓢亭は本名を良三という。明治3年(1870)生まれ。昭和12年(1937)没する。
2 「倉のひまより 見ゆ春の山 夕月が」 野村朱燐洞 小坂2丁目 多聞院
 
3 「れうらんの はなのはるひを ふらせる」 野村朱燐洞 北久米町 松山城南高校正門
4 「霜月の 空也は骨に 生きにける」 正岡子規 鷹子町 浄土寺
 
5 「火や鉦や 遠里小野の 虫送」 正岡子規 平井町 千福寺
 
6 「巡礼の 夢を冷やすや 松の露」 (表) 
「茸狩りや 浅き山々 女連れ」(裏)
正岡子規 平井町 伊予鉄平井駅前
明治24年8月、帰省中の子規は友人二人と川内町の唐岬の滝と白猪の滝二つを見に出かけた。その途中、平井町畑中の老松「兜松」の下で憩いこの句を詠んだ。 
・子規のころには、平井の松茸は有名で、昭和31年まで駅前では松茸市がたっていたという。
7 「松三代 北向地蔵 秋涼し」 酒井黙禅 北梅本町 北向地蔵尊(大尺寺)
この句碑は、酒井黙禅が日赤病院長であった87歳のときに、樹齢400年の元気な松の姿を傍らの北向地蔵と共に詠んだもの。 
句碑は昭和46年5月建立。
8 「秋風や 高井のていれぎ 三津の鯛」 正岡子規 高井町 西林寺
 
9 「ていれぎの 下葉浅黄に 秋の風」 正岡子規 南高井町 杖の淵公園
・明治25年秋の句で、「寒山落木」に所載された。 
・ていれぎは伊予節にも名物として歌い込まれており、清流にしか生えず、歯切れのよい茎葉は刺身のツマとして賞味される。 
・その青々とした下葉も、秋風が吹く頃となれば浅黄色に変色し、やがて凋落するというはかなさを詠っている。
10 「旅人の うた登り行く 若葉かな」 
草履単衣竹杖斑 孤村七月聴 綿蠻青々稲長恵原里 
淡々雲懸三阪山
正岡子規 窪野町 窪野公民館跡
11 「永き日や 衛門三郎 浄瑠璃寺」 正岡子規 浄瑠璃町 浄瑠璃寺山門左
12 「内川や 外川かけて 夕しぐれ」 正岡子規 北井門町 立石橋北詰
 
13 「賽銭の ひびきに落る 椿かな」 正岡子規 居相町 居相町
・平日に椿神社に訪れてみる。鬱蒼とした樹叢に包まれた境内は静まり返っていて、賽銭を箱に投げ入れるとその音が響きわたる。椿の花が落ちる音さえ、響きわたるようだ。 
・昭和29年建立。
14 「椿祭 はたして神威 雪となる」 柳之 居相町 伊予豆比古神社
15 「むかしむかし 日本のくにに陽か照りて 父のこゑにて もみすりの唄」 居相町 伊予豆比古神社
 
16 「荒れにけり 茅針(つばな)まじりの 市の坪」 正岡子規 市坪南2丁目 素鵞神社
 
17 「真宗の 伽藍いかめし 稲の花」 正岡子規 拓川町 相向寺
・明治28年10月2日、具陀仏庵で静養していた子規が石手川を散策した時の句。 
・相向寺境内には、子規の叔父にあたる加藤拓川(5代目松山市長)の墓がある。
●俳句の里松山:城西コース
1-1 「御所柿に 小栗祭の 用意かな」 正岡子規 小栗3丁目421 雄郡神社境内
1-2 「うぶすなに 幟立てたり 稲の花」 正岡子規 小栗3丁目421 雄郡神社境内
2 「じゅずだまや 昔通ひし 父が家」 正岡子規 土居田町 鬼子母神堂
・今出に行く途中、昔よく余土に住む叔父の家に遊びに通ったのを懐かしんで詠んだ句。 
・余戸に住んでいた叔父は、子規の父常尚(つねひさ)の長兄佐伯政房で、松山藩の祐筆を務めた。 
・この寺は、加藤嘉明が松山城築城の際に松前より遷座したもので、350年 記念に上の句碑を建立した。 
・じゅずだまは、散策集では「鳩麦」とし、寒山落木で改めた。 
・俳句の里散策コース 5番→城西コース2番 
・■苡(■=草冠に"意")
3 「行く秋や 手を引きあひし 松二木」 正岡子規 余戸 三島神社
・正岡子規は「散策集」の中で、明治28年10月7日頃、西垣生に住む友人の村上霽月を訪ねる途中にこの宮を訪れ、「をさなき時の戯れも思ひ出されたり竹の宮の手引松は今猶残りて 20年の昔にくらべて太りたる髄も見えず....」と記し、この句を詠んだ。 
・寒山落木には「余戸手引松」と詞書している。 
・文字:正岡子規自筆、刻文:松前、中田阿曽松、施工:松原幸太郎、昭和7年9月建立。 
・俳句の里 散策コース10番→城西コース 3番
4 「若鮎の 二手になりて 上りけり」 正岡子規 余戸 出合橋袂(出合荘前)
・俳句の里 散策コース 6番→城西コース4番 
・明治25年初夏、松山名所12月の3月の部として作られ、当時碧梧桐に宛てた手紙には、「若鮎の 二手になりて 流れけり」とある。 
・出合は重信川と石手川の合流点であり、明治44年旧々出合橋(木橋)が架かるまでは渡舟で往来していた。 
・この句は、正岡子規が伊予郡永田村(現松前町)に住む中学時代からの友人武市蟠松(武市庫太)を訪れるに際し、渡し舟の中で詠んだとされる。 
・句碑は子規を識る森河北が近隣の俳人有志と相計り、昭和8年 9月に手引きの松の碑と同時に建立された。文字は村上霽月翁の筆による。
5 「樗(おうち)さけり 古郷波郷の 邑かすむ」 水原秋桜子 余戸 出合橋袂(出合荘前)
6 村上霽月邸跡 西垣生町 三島神社前
・俳句の里 散策コース 12番→城西コース 6番 
・垣生小学校(伊予鉄バス三島神社前停留所)の前に、松林を巡らせた門構えの霽月邸が有った。 
・老朽化の為、惜しくも取り壊され、平成元年に長屋門が復元された。 
・神仙体(しんぜんたい)俳句を作るなど、文人墨客の往来も盛んであった。
7 「初暦好日三百六十五」 村上霽月 西垣生町 三島神社
・元旦に新しい年の日々が全て平穏無事な好日であることを願った仮名のない句。 
・俳句の里散策コース12番→城西コース7番
8 「酔眼に 天地麗ら 麗らかな」 村上霽月 西垣生町 三島神社
・俳句の里散策コース13番→城西コース8番 
・昭和39年建立。 
・次の漢詩をもとにしての1句である。 
  李白一斗 詩百篇 
  長安市上 酒家に眠る 
  天子呼び来たるも船に上らず 
  自ら称す臣は是れ酒中の仙を 
  (飲中八仙の歌 杜甫)
9 「朝鵙ニ 夕鵙ニかすり 織りすゝむ」 村上霽月 西垣生町 鍵谷堂
・さわやかな秋の頃、朝に夕にけたたましく百舌(=鵙=もず)が鳴く。 
・その声に励まされて、ひたすら絣を織り進めている。 
・今出(西垣生町)は伊予絣(=飛白=かすり)発祥の地。
10 「梅が香の 満ちわたり化里 天か下」 宇都宮丹騎鶴
(丹靖)
久保田町 履脱天満神社境内
・1902年、菅公没一千年祭記念に建立した。
11 「花見れハ 齢そのふる 世の人の 老ぬ薬や 桜なるらむ」 義郷 南江戸5丁目 大宝寺境内
12 「西山に 桜一木の あるじ哉」 正岡子規 南江戸5丁目 山内神社参道
●俳句の里松山:城北コース
1 「永き日や 菜種つたひの 七曲り」 正岡子規 山越6丁目 高崎公園
2 「花木槿 家ある限り 機の音」 正岡子規 久万ノ台 伊予かすり会館
・明治28年10月7日、子規が人力車にて今出の村上霽月邸を訪れた際、「散策集」で『ここは今出鹿摺とて鹿摺を織り出す処也』としての句が 
 『汐風や やせて花なき 木槿垣』 
と並んで出ている。
3 「紗空楽都閑(さくらつか)(桜塚)」 
左側:「木のもとに しるも膾も さくら哉」 
右側:「はつさくら 華の世の中 よかりけり」
松尾芭蕉
栗田樗堂
神田町 厳島神社
4 「銀杏寺を たよるやお船 納涼の日」 河東碧梧桐 神田町 定秀寺
5-1 「造作なふ 共に消えけり 雪仏」 大原其沢 大可賀1丁目 三津公園
5-2 「明月や 丸うふけ行 ものゝ影」 大原其戎 大可賀1丁目 三津公園
6-1 芭蕉塚(あら株塚) 
「しくるゝや 田のあら株の くろむほと」
松尾芭蕉 三津2丁目 三穂神社
6-2 花之本大神「敬へは なほもたゝしや 花明り」 大原其戎 三津2丁目 三穂神社
7 亀水塚「笠を舗て 手を入てしる かめの水」 松尾芭蕉 港山町 不動院
・亀水塚には、芭蕉が旅の草鞋を脱いで詠んだという 
  「笠を舗て(しいて) 手を入れてしる かめの水」 
の句が刻まれている。この句碑は芭蕉の没後百年目の寛政五年(1793)に自筆の句を塚の下に埋め立てたそうである。 
・寛政7、8年と二度伊予路を訪れた小林一茶は、亀水庵の隣にあった洗心庵で栗田樗堂などと句会を催した。その後亀水庵と今は枯れてしまった老松を眺めながら 
  「汲みて知る ぬるみに昔 なつかしや」 
などと芭蕉を偲んで詠んでいる。 
・幕末の頃には多くの俳人が芭蕉、一茶を偲んでこの地を訪れた。それが子規の俳句の先生である大原基戎を生み、正岡子規につながっていっている。 
<俳句の里の立看板より> 
・寛政5年(1793)芭蕉百回忌に、芭蕉筆蹟と称する懐紙を塚の下に埋め句碑を建立した。翌々年の寛政7年(1795)2月9日小林一茶が句会を催したところは、ここ小深里の洗心庵と判明した。 
・一茶は 
 「汲みて知る ぬるみに昔 なつかしや」 
と「かめの水」にちなんだ句を「寛政七年紀行」に残した。 
・この地にあった不動の松(枯死)と呼ばれる老松は当時既に200年を越えていたと思われる。
8 「梅が香や おまへとあしの 子規真之」 酒井黙禅 梅津寺町 梅津寺公園
9 「興居嶋へ 魚舟いそぐ 吹雪哉」 正岡子規 高浜町1丁目 昭和橋
・昭和橋袂、黒岩口バス停前 
・平成元年建立。 
・明治25年寒山落木巻1。この年は子規は帰郷していないが、「石手寺」と称し、「しくるるや 弘法死して 一千年」「内川や 外川かけて 夕しぐれ」などの句もあり、望郷の句と思われる。
10 「初汐や 松に浪こす 四十島」 正岡子規 高浜町1丁目 恵比須神社
・昭和52年12月3日、四十島(ターナー島)を見下ろす高台に、鶴村松一氏によって建立された。
11 「道ゆづる 人を拝ミて 秋遍路」 正岡子規 太山寺町 太山寺参道
12 「春雨や 王朝の詩タ 今昔」 松根東洋城 太山寺町 太山寺参道
・俳句の里城北コース10番→12番 
・昭和25年、太山寺本堂での句会のときに彫る。
13 「菎蒻に つゝじの名あれ 太山寺」 正岡子規 太山寺町 太山寺参道
14 柳壟 
「八九間空へ雨ふる柳かな」 
十月の中の二日や柳つか
松尾芭蕉
竹翁
太山寺町 太山寺参道
15 「十月の 海ハ凪いだり 蜜柑船」 正岡子規 勝岡町 内新田公園
16 「ものゝふの 河豚にくはるゝ 悲しさよ」 正岡子規 堀江町 浄福寺
・この句は、明治25年12月2日、新聞「日本」に俳句時評「海の藻屑」と題し、千島艦の堀江沖沈没を評して呼んだもの。 
・千島艦は、フランスで建造した、当時最新式の巡洋艦であったが、回航の途中でイギリス船舶と衝突して沈没した。乗組員のうち、74名が殉職した。
17 「大伊豫の 友國の湯に ひたりつつ ほのほのとして ものをこそおもへ」 福角町 ホテル清泉前
18 「木の芽日和 慶事あるらし 村人の」 森田雷死久 平田町 常福寺
19 「白芙蓉 か細く首の かたぶくに さらさら時の 流れやまずも」 五百木小平 船ヶ谷町 諸山積神社
・昭和52年12月建立。
20 軽之神社・軽太子の塚 姫原1丁目 軽之神社
●俳句の里松山:道後コース
1 「足なへの 病いゆとふ 伊豫の湯に 飛びても行かな 鷺にあらませば」 正岡子規 道後公園 子規記念博物館前
2 「ふゆ枯や 鏡にうつる 雲の影」 
「半鐘と 並んで高き 冬木哉」
正岡子規
夏目漱石
道後公園 道後公園北口
3
「寝ころんで 蝶泊らせる 外湯哉」 小林一茶 道後公園 道後公園北口
4 「元旦や 一系の天子 不二の山」 内藤鳴雪 道後公園 道後公園西口
...
5 「春風や ふね伊豫に寄りて 道後の湯」 柳原極堂 道後湯之町 放生園
6 「伊予とまうす 国あたたかに いで湯わく」 森盲天外 道後鷺谷町 ホテル春日園
...
7 「伊豫の湯の 汀にたてる 霊の石
 これそ神代の しるし成ける」
(古歌) 道後湯之町 道後温泉本館北
8 狂平の仮名詩碑 臥牛洞狂平 道後湯月町 円満寺
9-1 「色里や 十歩はなれて 秋の風」 正岡子規 道後湯月町 宝厳寺
明治28年、子規は漱石と一緒に道後温泉で遊び、鷺谷の寺に知人の墓をたずねたが、見当たらぬまま引き返した。帰途、遊郭のあった松ヶ枝町を通り、宝厳寺の山門でこの句を詠んだ。
9-2 「子規忌過ぎ 一遍忌過ぎ 月は秋」 酒井黙禅 道後湯月町 宝厳寺
10-1 「旅衣 木のねかやのね いつくにか
 身のすてられぬ ところあるへき」
一遍 道後湯月町 宝厳寺
10-2 「糞掃衣(ふんぞうえ)すその短く くるふしも
 臑(すね)もあらはに(下略)」
道後湯月町 宝厳寺
11 「あかあかと 一本の道 通りたり
 霊剋るわが 命なりけり」
茂吉 道後湯月町 宝厳寺
12 「伊狹庭の 湯はしもさはに 梅咲けり」 加倉井秋を 桜谷町 伊佐爾波神社参道 
石段最上段
13 「鎌倉の むかしを今に 寺の鐘」 前田伍健 石手2丁目 石手寺参道右
14 「南無大師 石手の寺よ 稲の花」 正岡子規 石手2丁目 石手寺参道右
15 「身の上や 御鬮を引けば 秋の風」 正岡子規 石手2丁目 石手寺参道右
16 祭芭蕉翁塚(花入れ塚) 
「打ち寄りて花入れ探れ梅椿」 
(宇知与利底波奈以礼佐久戻牟女津波几)
松尾芭蕉 石手2丁目 石手寺三重塔北
・元禄5年(1692)12月22日、彫棠(ちょうどう)の家に芭蕉を迎えて歌仙を催したとき、芭蕉が詠んだ句である。 
・「席上花器に生けた梅椿に春の訪れを探ろうではないか」という意味の句である。 
・句座には、芭蕉、其角(きかく)、彫棠ら6人が列した。
17 「葉桜の 中の無数の 空さわぐ」 篠原梵 石手2丁目 石手寺境内左
18 「ふるさとのこの松伐るな竹切るな」 高浜虚子 東野4丁目 東野お茶屋跡
19 「閑古鳥 竹のお茶屋に 人もなし」 正岡子規 東野4丁目 東野お茶屋跡
20 「薄墨の 綸旨かしこき 桜かな」 柳原極堂 下伊台町 西法寺山門
・柳原極堂直筆。 
・仁王門前 
・昭和27年建立 
・咲き乱れている薄墨色の桜を前にして、薄墨桜の伝承に想いを馳せての感慨の句。
21 「感無量 まだ生きて居て 子規祭る」 柳原極堂 山田町 妙清寺
22 「春光や 三百年の 城の景」 酒井黙禅 祝谷5丁目 道後公民館祝谷分館
23 「しろ山の 鶯来啼く 士族町」 高浜虚子 祝谷東町 松山神社参道右
24 「東風の船 高浜に着き 五十春」 酒井黙禅 祝谷東町 松山神社参道右
25 「色鳥の いろこぼれけり むら紅葉」 黒田青菱 祝谷東町 常信寺
26-1 「永き日や あくびうつして 分れ行く」 夏目漱石 道後2丁目 俳句の道
26-2 「春百里 疲れて浸る 温泉槽哉」 村上霽月 道後2丁目 俳句の道
26-3 「馬しかる 新酒の酔や 頬冠」 道後2丁目 俳句の道
26-4 「籾ほすや にわとり遊ふ 門の内」 正岡子規 道後2丁目 俳句の道
26-5 「温泉めぐりして 戻りし部屋に 桃の活けてある」 河東碧梧桐 道後2丁目 俳句の道
26-6 「いろいろの 歴史道後の 湯はつきず」 前田伍健 道後喜多町 俳句の道
26-7 「湯上りを 暫く冬の 扇かな」 内藤鳴雪 道後喜多町 俳句の道
26-8 「伊予と申す 国あたゝかに 温泉わく」 森盲天外 道後喜多町 俳句の道
26-9 「湯の町の 見えて石手へ 遍路道」 柳原極堂 道後喜多町 俳句の道
26-10 「ほしいまゝ 湯気立たしめて ひとり居む」 石田波郷 道後喜多町 俳句の道
26-11 「ずんぶり湯の中の 顔と顔笑ふ」 種田山頭火 道後喜多町 俳句の道
27 「熟田津に 船乗りせむと 月待てば 潮もかなひぬ 今はこぎ出でな」 額田王 御幸1丁目 護国神社
28-1 「鐵鉢の 中へも霰」 種田山頭火 御幸1丁目 一草庵
28-2 「春風の 鉢の子一つ」 種田山頭火 御幸1丁目 一草庵
28-3 「濁れる水の なかれつゝ澄む」 種田山頭火 御幸1丁目 一草庵
29 「山本や 寺ハ黄檗 杉ハ秋」 
「画をかきし 僧今あらず 寺の秋」
正岡子規 御幸1丁目 千秋寺境内
30 「金色の 仏の世界 梅雨の燈も」 村上杏史 御幸1丁目 千秋寺墓地入口
31 「伊佐爾波の 丘めぐる水に こだまして
 あかつきいで湯の 太鼓鳴りいづ」
義定 御幸1丁目 千秋寺
32 「萩静か なるとき夕焼 濃かりけり」 薫花壇 御幸1丁目 東栄寺
33-1 「功(いさおし)や 三百年の 水も春」 内藤鳴雪 御幸1丁目 来迎寺
33-2 「寶川 伊豫川の秋の 出水哉」 村上霽月 御幸1丁目 来迎寺
34 「永久眠る 孝子ざくらの そのほとり」 波多野二美 御幸1丁目 ロシア人墓地
35 「つくしけん 人のまことを にほはせて
 さくかむ月の はつさくらばな」
清臣 御幸1丁目 桜台 
孝子吉平邸跡
36 「門前に 野菊咲きにけり 長建寺」 梅屋 御幸1丁目 長建寺門前
37-1 「もりもりもりあかる雲へあゆむ」 種田山頭火 御幸1丁目 長建寺
37-2 「母と行く この細徑の たんぽゝの花」 高橋一洵 御幸1丁目 長建寺
●その他
「草庵の 日暮涼し 門清水」 越智村雨 道後南町 越智邸
「神木唐楓 さ庭に風媒 かしこしや」 酒井黙禅 道後多幸町 旧居 田高庵
「このほたる 田ごとの月と くらべ見ん」 松尾芭蕉 道後姫塚 義安寺
「秋いくとせ 石鎚を見ず 母を見ず」 石田波郷 西垣生町 垣生小学校校庭
・俳句の里散策コース10番→除外 
・垣生小学校校庭、俳句の径の突き当たりにある。
「雀らも海かけてとべ吹き流し」 石田波郷 西垣生町 垣生中学校
「朝顔の紺の彼方の月日かな」 石田波郷 西垣生町 石田和弘氏邸
「明日引かん鴨なる深き眠りかな」 三由孝太郎 西垣生町 垣生中学校
「天さかる しな乃伊予路に 永久乃 愛に生きたまふ 二柱の神」 八木米蔵 姫原1丁目 軽之神社(姫池東山裾)
「振り返る みる故里の 山粧う」 中野立城 下伊台町 西法寺参道途中
「なる鐘の 音よき日なり 初桜」 乗松春甫 下伊台町 西法寺境内南端
「茎立や 五里という 古き里」 富田狸通 菅沢町 菅沢集会所
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